Cats,Birds,Ningen

暇な時に、ぶつぶつ呟く。旦那の両親と同居(24年)、娘3人、結婚して早や27年。猫、インコ、ウズラとの生活が何より大事な後2年で50歳の女

父親のこと

そういえば先週、父親が入っている特養から電話があったのだがその時は出ることが出来なった。留守電にメッセージが入ってはいたがまた電話しますとのことだったので折り返さなかった。そして昨日、また電話が入っていたが留守電がなかったのでかけてみた。

今回長くなりそうなのでスルー推奨。途中自分語りが長いと思うので。

 

すると最近食事の量が落ちているという。病院が近くにあるので定期的にみてもらってはいるのだが前に比べて少なくなっていると言われた。昭和一桁生まれであり昨年から八十代後半に入ったこともある父親。自分で体が動かせればそれなりにお腹もすくであろうが父親は脳梗塞により、一時は結構体を動かせるようにはなってはいたものの色んな要因が重なり、右側麻痺が残り、自分で立つことが出来なくなっていた。

老健ならば病院ほどではないもののリハビリがあるので体を動かす事はあるが、特養は終の棲家、それほど積極的にリハビリがあるわけではない。次第に体を動かすこともなくなり、車椅子に自分では乗れないものの、麻痺のない足で地面を蹴って動かすことは出来る。勿論、側には介助者がいるので勝手にどこかに行くことはないが。

三年半くらい前から特養にお世話になっていたのだが時々体調を崩して年に一、二回は入院することもあった。昨年は胆石が悪さをして黄疸が出て二週間近く、提携している総合病院で手術した。年末はノロにかかり併設されている病院に入院した。

 

そういえば老健にいるころも血管に詰まりがあり、カテーテル入れる為に入院したこともあった。脳梗塞で倒れてから気弱になったのは見て取れた。今から十数年前に心筋梗塞で倒れたときも精神的なものからきたせいなのかどうかわからないがえらくボロボロと涙をこぼしていた。それまで涙など見せなかったので多少動揺はしたものの、年齢いくと段々とこうなっていくのかなと自分なりにそう思うことにした。

父親は右半身が麻痺な上に言語障害にもなった。左半身が麻痺の場合はこの症状がついてくることは右半身よりは少ないらしい。話すことが好きな父親にとって思うように話せないことも精神状態に負担をかけるもとになったのではないかと。

体が動かないからどこかへ勝手に行くことはないが父親はどういう気持ちで生きているのか考えるとやるせない。母親が昭和五十年代初めに亡くなったので私と兄でどうにかするしかなかった。私は旦那の両親と同居、兄はよその県に住んでるので引き取ることすらかなわない。父親の兄嫁さんは、「兄のする事は薄情だ、本来ならば兄のいる県の特養に入れるべき。責務をはたしてない」という。

まあ父親も住みなれた土地を離れるのは嫌がるだろう、ならば住んでた場所から近い特養に入るのが妥当ではないかと。そう推測して我が家から自転車で十五分足らずに身を置いている。何軒もの特養に入所希望を出した結果、二番目に近い所に決まったのでホッとはしましたが。

兄夫婦と父親は確執とまではいかないものの色々とあったので、兄よりは私の近くの特養の方がいいのではないかと判断した。兄夫婦からしたら父親の一言一言が癇に障ることだっただろう。

私は身内なので父親の物言いは慣れているがはっきりと言うタイプだから言い方がきつく聞こえることもある。兄の奥さんはどちらかと言えば繊細な人なので父親の言葉がきつく聞こえて傷ついたのかもしれない。まあ父親が倒れた七年ちょい前まであまり交流はなかった。

父親と兄はあまり似てないなと若い頃は思ったのだが、兄もそれなりの年齢になり、頑固な所が露出してきた。父親もどちらかと言えば頑固。似たもの親子だったんだなと思うこともしばしば。兄の奥さんから見れば私は小姑なので余計なことは言わずに静観している。向こうも言ってきたりはしないので多分ずっとこのままの関係だろうな。

 

父親が七十八歳の時、実は私ら夫婦の二十回目の結婚記念日の日に倒れたのは偶然なのかどうか。明日仕事休みなので昼からいってこようと思う、夏用の帽子(父の日のプレゼント)持って。