Cats,Birds,Ningen

暇な時に、ぶつぶつ呟く。旦那の両親と同居(24年)、娘3人、結婚して早や27年。猫、インコ、ウズラとの生活が何より大事な後2年で50歳の女

前にもちょこっと書いたかな、両親のこと

うちの両親は結構ややこしかった、人間関係が。
自分ではあまり重要視してないが、結構家族の血縁がややこしいというか。小学校からの親友にそういった話した時はめちゃくちゃドラマティックと言われましたがワタシは別に、そーなの?と言う感じでしたね。

色々な事を聞く原因になったのは母親の病気のせいだったかもしれない。母親が病院へ入院したのは私が小学五年生の時。子どもには到底理解出来ない、考えも及ばぬ事柄が母親には起こっていて。今話さなければならないと考えた末の行動だったと思う。
まあ普通は成人してから話すよな?ってことばかり。

1 父親と母親は再婚同士。
2 両親には一人ずつ子どもがいるということ。
3 兄は父親の連れ子。
4 イトコだと思っていた子が実は弟。
5 母親は前の結婚の際に娘(私からしたら姉)を置いてきている。

いっぺんにこんな事を聞かされたと思う。聞かされた後でも私の感想は「そうだったんだ」という一言。
別に自分がよその子というわけでもなく、兄と二人きょうだいかと思っていたら四人きょうだいだった。いやもうあの時は負の感情は一切無く、いやいいこと聞いたという感想しかありませんでした。どんだけポジティブなんだと。頭の中で整理してもこんがらがるだろうに。

話を聞いた後、母親がどんな気持ちだったかとか、子供を置いてこなければならなかった事情とか思いやる余裕などなく。年齢が行くにつれて想像(まあ大まかに事情は聞いたが)出来て、なんだか可哀想だと思い始めた。
自分も子を持って、母親と同じ三人産んだ。私は手元で三人とも育てているが、母親は事情により私しか育てることが出来なかった。
一人は遠く離れた所で、もう一人は自分の妹夫婦(細かく書くと父親の弟と母親の妹)の所へ養子に行って別の人をお父さんとお母さんと呼んでいる。時々、その家に行っていたので私の母親はその光景を見る度に辛かっただろうなと。
大人になった今だとそう思えるが小学五年生であった私には想像もつかない世界。だから私に集中するのは仕方ない事だった。母親のおかげで落ち込んでも這い上がり、ちょっとしたことで熱出さない健康体となった。本当に感謝している。
父親と母親の愛情を一心に受けて育ててもらったことは誇りに思う。本来ならば姉と弟もここにいて、同じように育てられていたはずだった。そう考えると若干淋しいなと感じるが、これも致し方ないこと。

小学五年生の私に話をした時の両親の姿が真摯なものだってのでネガティブな感情を持たずに済んだのだと。
話を聞いたその年に母親が亡くなったあと、あの時に話をしたのは母親の余命が残り少ないと悟っていたから。
そう考えると私の中でしっくりきた。

本当に運命はイタズラ好きだなと。
平坦な道のりばかりは歩めないんだなと感じた。

弟とは年賀状だけの付き合いになっているが、晩婚だったせいで子供小さく忙しい日々を過ごしてるのでこれも仕方ないかなと。

多分姉とは会えないんだろうな·····と思う。これもまあ運命(笑)